日本とマレーシア・シンガポールの関係について、様々な角度からいろんなことがわかってきたと思います。みなさんは何が一番印象に残ったでしょうか?
私たちは、皆さんがアジアの隣人たちと手をつなぎ、平和な21世紀を築くために少しでも役に立てばと思い、この教材を作りました。それに関連した三つの話しを紹介します。 (写真の上にマウスをのせると写真がかわります。)
みなさんの中には将来シンガポールやマレーシアに行く人もいると思います。シンガポールの空の玄関チャンギー空港のすぐそばにチャンギー刑務所があります。戦争中日本軍がシンガポールを占領したとき、ここには多くの連合軍兵士が捕虜として収容されました。当時の国際法でも捕虜を虐待してはいけないという決まりがありましたが、収容された捕虜には十分な食事が与えられず、彼らはどんどんやせ細り栄養失調で亡くなった人もいます。このチャンギー刑務所に収容されていたオーストラリア兵の中には日本へ護送される途中、アメリカの潜水艦の攻撃を受けて沖縄近くの海で亡くなった人もいます。乗せられていた船が日本の船だったからです。その亡くなったオーストラリア兵のお父さんは死ぬまで日本とアメリカを息子の敵だと恨み続けたそうです。
二つ目は広島の部隊に親や兄弟を殺され、生き残った人たちからのメッセージです。
「1945年8月6日、広島に原子爆弾が落とされて広島が壊滅状態になったと聞き、『アメリカが敵をとってくれた。ざまあ見ろ。やったー。』と思いました。戦後しばらくはそういう気持ちでいましたが、何年か経ってはじめて広島を訪れたときに私のこの気持ちが間違いであったことに気がつきました。広島の平和祈念資料館見学のとき、原爆孤児の写真を見て、親を日本兵に殺されて路頭に迷っていた時の自分の姿と重なりました。戦争を起すのはいつも一握りの権力を握っている人たちで、被害を受けるのはいつも権力を持たない一般大衆だ。広島の原爆で親をなくして泣いているこの孤児は、まさに自分ではないか。この人たちの苦しみを理解しようとしないで『自分たちの家族を殺したお返しだ、いい気味だ。』と思っていた自分が恥ずかしくなりました。自分たちと同じような惨めな被害者を出さないためにも広島をはじめとする日本の平和を愛する人たちと手をつないで戦争反対、核兵器廃絶の運動をしなければならないと思い始めるようになったんです。」
三つ目は、日本の私たちの生活を便利に快適にしている製品の中に、マレーシアで生産されたものが多いということを知ってほしいのです。日本で売られている電気製品や衣類、シャンプーやリンスの中には思った以上にメイドイン・マレーシアが多いのです。なぜそんなに多いのでしょうか?第1は働く人の賃金が日本より低いので日本で作るより安く出来るからです。次に工場から出される排水や煤煙の規制が日本より緩やかなためです。このため、マレーシアの環境が汚染され大きな社会問題になっていますが、日本ではほとんど知られていません。
その一番大変な例がARE社の放射性廃棄物問題です。放射性廃棄物がむき出しで道端に積まれ、それが風や雨水で垂れ流しにされるということが日本で考えられるでしょうか?日本では到底考えられないようなことがなぜマレーシアでは平気で行われたのでしょうか?みなさん真剣に考えてください。その中にこれから日本が本当に解決していかなくてはならない大きな宿題が詰まっていると思います。いっしょにチャレンジしましょう。 |