獣医の卵 編

1    多摩動物公園 (2004/11/15)
 
多摩動物園での実習内容はペラペラ口外してはいけないお約束。
 
でもそこで気付いた一番嬉しいことは
子供達はまだまだみんな動物園が大好きで、動物を前に歓声を上げ、
そこは幸せの王国。
まだまだ捨てたもんじゃないなぁ。
ここは、まだまだ日本の未来を産む可能性を持つ場所。
動物園にもっともっと子供達を育てて欲しい。
 
私も大きく息を吸い込むと、
「ドキドキすることワクワクすること、目を輝かせて進むこと」
そんな暫く忘れていた感情を思い出した。
どこに忘れていたんだろう?自分らしく笑うこと。
少しわがままにドキドキするような未来を描き直そう。
 
 

2    命の最初 (2004/08/24)
 
「これで出産でも見れたら大概は見れたと思うんだけど…」
 
実習の中で出産には残念ながら立ち会えなかった。
私が着く前の日に子宮捻転で難産の牛がいたらしく、
あと一日早く来てれば…とは思えども、
こればっかりは、ねぇ。
 
そうして考えてみるに、私はまだ一度も生命の誕生に立ち会ったことがないんじゃないか?
もちろん、自分の誕生を除いて。
イヌ…? ネコ…? ウサギ…? メダカ…?
うん、産まれるのに出会ったことないや。
いつかどこかで大切な瞬間と出会うために
まだ『命の誕生』との出会いはとってあるんだろうか?
そんな気もする。
 
牛の出産…。
見られなかったのはすごく残念だけど
とても有意義で勉強になった5日間でした。
先生ありがとうございました!
 
 

3    黒毛の子牛 (2004/08/24)
 
仔牛がめっちゃ なつっこく寄ってくる農家…
すっごく牛をかわいがってるんだろうな。
 
ペットではないけれど、
それでも農家の人の牛への愛情はいろんなところで
感じることができる。
 
妊娠鑑定で「(仔が)ついてます」と言われたときのホッとした感じ、
もうすぐ市へ出す牛を指さして誇らしそうに話してくれたり
調子の悪いの牛を心配する様子、
繋いだ牛をなだめる声の感じさえそれを伝える。
いいなぁ、と思う。
 
 

4    高齢化と農業 (2004/08/24)
 
酪農を終えようと、種付け待ちの最後の1頭の牛を残して全部の牛を手放した農家の牛舎へ行った。
牛を飼って60年!のおじいさんは
「牛より先に人が寿命来たわ」
と曲がった腰で牛舎に向かいながら言った。
牛がいなくなった後の牛舎。
農業従事者の高齢化問題。
そんなこと学校で教わっただろうか?
教わったとしても私たちには実感も共感もなく、ノートにメモも増えはしなかったのだろう。
畜産のことって知らないことだらけだ。
 
おじいさんは牛が『モーモー』鳴くと「ワンワンなきよるわぁ」と言う。
牛をあやそうと「ぼぁよ、ぼぅ、ば」と声をかける。
表現の不思議。
うん、もっともっと勉強しよう。
 
 

5    どなどな。 (2004/08/23)
 
和牛子牛の市場へ行った。
 
実習で見せてもらっていた黒毛和牛の農家は、主に繁殖を行っているところが多く、そこで生まれた牛たちは生後8〜10ヶ月ほどになると島中の子牛が1つの市場へ行き、その後の肥育を行う農家さんに買われていく。
その日の市場には400か500かもっと沢山いただろうか?
これから彼らは買われた先で但馬牛になったり、松阪牛になったりするんだろう。
育てた農家さんたちは、ここまで来れたことにホッとしつつ、自分の仔がどれだけの金額で、つまりどれだけ高い評価を受けて引き取られていくのかを見守っているんだろうか。
 
子牛を育てる様は子育てのようで、彼らはとても大切にされていた。
だからこそ、【市場で仔牛を売る】という行為そのものからは『ドナドナ』の曲を連想したのに、そこには全然悲しさがそぐわなかった。
もっと、誇らしいような、子を送り出すような…、確かに牛は牛であり、肉となる運命なのは抗えないが、それでも大事に育ってきたことを証明する門出の日にもちょっと似ていて…。
もう一言で表せるものではなく、ましてや勝手な考えで「育ててきたのに売るのは かわいそう」なんて言う奴は後ろから蹴ってやりたくなるような、そんな風景。
そうやって生きてきた社会をかいま見た。
どなどな。
私が見た『どなどな』は、きっと人が動物の大切さ、ありがたさを知って生きている世界。
 
だから、そんな世界も見れた私はとっても幸せ者。
 
 



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