僕も飼い主 編

16    Zoo (2003/3/7)
4年ぶりかで上野動物園に行った。
ジャイアントパンダを見に行ったのに、
動物園唯一のパンダはメキシコにお見合いの旅に行って不在だった。
かなり肩を落としつつ、埋め合わせるように
『パンダがやってきて30年』
の小さな展示を見に入った。
 
「ランラン」の剥製。
小さい。
そして その体にカンカンとの子を宿したまま、
人で言えば30才かそこそこで失われた命。
 
フェイフェイの娘『トントン』
リアルタイムに知っていた。
名前が募集された当時は♂だと思われていたんだ、
そして「妹誕生!」と話題になったユウユウが実は♂と判明(笑)
そんなことはよく覚えている。
 
幼心にトントンが好きだった。
むくむくした後ろ姿がいとおしかった。
 
トントンが2年ほど前に短い一生を終えていたことを知り、
自分が東京にいたにも関わらず 幼い日に愛したトントンを
それと意識せず『パンダ』としてだけ、一度、一瞬出会い、
…二度と会えないと知った。
 
ちゃんと会っておきたかったな。
寂しいと思った。
すごく悲しかった。
そして何故か「ごめんね‥」と思った。
やっぱり人は忘れゆくもの。
今は北京に行ってしまったユウユウが恋しく思えた。
 
トントンに会いたかった。
会えなかったから…、今日はパンダの話m(_ _)m
 
 

17    雨の日 (2003/3/3)
 
雨の日は散歩行けないね。
雨の日はケージ洗えないね。
雨の日は、なんだかやる気が起きないや…。
 
繰り返される雨の日の言い訳。
雨の日はなんだか調子が出なくって、
やっぱり自分はお日さまの子だと思ふ。
 
牧場で飛び乗った干草はチクチクしたけど
暖かい匂いがした?
 
今日は雨。
心にまで黒雲が入ってこなければいいんだけど…。
こんな日は、いつもよりちょっとだけ早く寝て
布団の中で太陽を待とう。
 
そうして大切な日に元気なお日さまが照ってくれますように…。
 
 

18    1月19日 (2003/1/22)
 
私のコアにある小さな命。
ごめんね、愛しささえ忙しさの中
こんなふうに埋没してっちゃうものなのかな。
今でも あの小さなウサギを想うと「ごめんね」の言葉が浮かぶ。
…そして、私を救い続けてくれてありがとう。
私の大切な命。彼女の存在と死が今の私を創り上げている核。
 
冬は嫌い。寒いだけですごく不安になるから。
あの寒ささえなければもう少し幸せを抱いていられたのかな…。
ウソ。
気付かなかったのは私のせい。
最期に抱いていてあげられなかったのは無知だった私の罪。
ごめんね。いっぱいいっぱいごめんね…。
 
そばで私を見つめてくれる命を救えるようになろう。
あの日した約束。今も自分を支えている約束。
 
 

19    どうぶつのお話 (2002/12/29)
ぶっちゃけ、毎日書くことなんてないものだ。
最初3日はあふれ出てくるものが何かしらあり、毎日書くのもどうかな…、と思いつつ勢いでキーを叩いたが…。
小学生の頃から3日坊主が板についた私としては、4日続いていることだし、あとはボチボチ行こう。
 
今、うちには動物がうじゃうじゃ(?)いる。
イヌが2匹に、ウサギにでぶのハムスター。
あっ、イヌとウサギも丸々肥えてるけど。
それに加えて、明日はお姉と共にネコが帰ってくるらしい☆
どうしろというのじゃ!
はっきりいって、『ともだちの輪♪』と笑顔で踊ってる場合じゃなかろう。
ま、みなさん戦って自分のニッチをせしめてね☆って感じ。
そこに父の埋めるスペースは残っているのやら…(笑)?
 
獣医に進んでから、友達とペットロスについて話したことがある。
友達にはもう16歳になり足腰の弱った愛犬がおり、私は次の春には11歳になるChanceを想って話した。
 
「帰省するたび、年とるの感じる。なんかChanceのこと想った気持ちを形にして残したいと思った」
私はこの前の夏、5年ぶりぐらいにChanceと2人だけで散歩をし、星の下でいとおしく思った気持ちを書き残すことを考えた。
すぐに失うはずないことはわかっていても、永遠に走り回っているように思えたあの頃とはもう違う。
大切な気持ちを、どんなに大事に思っても やがてきっと忘れ行く気持ちを、感じた瞬間に書き残そうと思った。
 
「なんかね、『死ぬ』ってことを前提にして、まだ生きているのに死ぬ準備を始めるようなのが嫌なの」
あ、痛い。その通りだ、と思った。
自分はペットロスを克服するための準備をしている?
何年もかけて…。
でもね、多分、考え始めたきっかけは『Chanceがもし死んだとき…』だったかもしれないんだけど、瞬間瞬間を残すっていうのは『死』っていうものがなくても大切なことなんじゃないかな、と思うことにした。
 
泣き笑いしながら何時間もそんな話を交わせる友達がいることも、今は当たり前でも、何十年もたってからでもふと思い出したいし、思い出すだろう。
そして、そのとき、『○○大好きっ!!!』って友達の名前を、 20代の自分の汚い字で書きなぐったものがあればすごい いいと思う。
んでもって、それを見ながら、いつもその時そばにいてくれる人を『大好きっ!』って思いたいなぁ。
なんか、そんな感じ。
やばい、テレること書いてるげ。
今日はこの辺でおしまいにしよう…♪
 



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