人が二人いれば、それだけであっち側とこっち側ができる。
そう見ようとするかしないかに関わらず。
「私はあっち側の人間じゃないから…」
よくそうやって凹む。
うまくいかない自分、思い通りにならない いろんなことに。
『できる人』は周りにいっぱいいて、
真似しようとか見習おうとかそんな気も起こらないほど遠い人もいる。
無理だよ、そうは生きられない。
そう言うと「頑張れよ」って、そう言うのはちょっと卑怯。
頑張れるかどうか、違いは既にそこから生まれているんだから。
「あなたみたいにはなれない、すごすぎるもん」
そう言って、私をあっち側の人だと称えてくれる人がいっぱいいる。
「やっぱりすごいですよ」
ありがとう、うん、確かに『頑張れちゃう自分』も私は知っているような気がする。
だって負けられないし、
まだ追いかけているものがあるし…。
自分のやるべき仕事を見つけたときは、人より踏ん張りだってきく。
ってか きかさないわけにいかないもん。
あ、そういうことだ。
あっち側かこっち側か、どちらかに人はいるわけじゃない。
私がこっち側だと思うときに、私とあなたの不等号が『A君 > 私』で、
私があっち側と思われる人とのあいだでは『私 > B君』ってな具合に
人と人に不等号があるんだと思ってなかった?
そうじゃないんだぁ。
人の中にあっち側もこっち側もあって、きっとみんな見せているのは『あっち側』の自分。
他人の『あっち側』と自分の『こっち側』を比べるから凹むんだね。
それは時に成長のもとだけど、いつもそんなふうに落ち込まなくていい。
『あっち側』の中にも『こっち側』の中にも、自分にしかない特別なひとかけらがあるから、
それでいいや。
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