〜 とも君とコガネ 〜
「おいで、コガネ!」
青いリードを握りしめて庭へまわると、長い尻尾をバクレツに振ってイヌが待っている。長い間 夢見た光景。リードをつなごうとするとコガネは待ちきれないように飛びつく。黄金色の毛が舞う。家の門をくぐり駆け出す。
――ねぇコガネ、どこまで行こう? どこまでも行けるかなぁ。
息が切れるまで走り、コガネのリードをぐっと引いて立ち止まらせる。
「ちょっと待って」
コガネは振り返り、また走り出そうと引っ張る。前足が浮いて空をかく。
「そうだ、あの丘にあがろう」
夕日と呼ぶにはまだ少し早い太陽が見つめていた。広い公園の中の少し小高くなった丘。この格好の「お散歩コース」も今日はなぜか人が少ない。急ぎ足に駆け上がり、低いながらも設置された『みはらし台』から身を乗り出す。うん、空気がキレイだ。日はだんだんと傾き始め、コガネのふさふさの毛の上をやわらかな光が踊った。太陽の色だ。血統なんてない雑種犬だけど コガネは太陽のイヌだっ、とも君は思った。
「ただいま〜。もうすぐご飯?」
「とも、先に散歩」
「えー、だってもう暗くなるもん」
「あんたの帰りが遅いんでしょ!さっさといってらっしゃい」
「うぅぅぅ〜」
☆
小学校6年の秋、自転車で行った少年野球の遠征の帰り道。小学校の学区の境目辺りにたくさんの捨てネコを世話している『ネコおばさん』が住んでいて、その家の表札の下に「コガネ」はいた。もう一匹は黒いイヌ。ダンボール箱の中の二つの命に、居合わせた子供たちは頭を寄せた。
――すげぇ、ちっさぁ。
――金色のん かわいいな。
――いいなぁ、でも飼えんしぃ。
ピンポーン。
――はーい。
――あの、家の前に子イヌがおります。
――えっ。
――捨てられとるんじゃないですか。ちっこいの二匹。
――そう、よくあるのよ。でも うちじゃあどうしたってイヌは飼えないから。おばさんが明日そういう施設に連れてくわぁ。ありがとうね。
ネコおばさんは門へと近寄り、子イヌの入ったダンボールを抱えあげた。子供たちみんなが自分と、心にありありと浮かぶイヌを連れ帰ったときの母親の表情と戦っていた。とも君も。昔ネコを拾い、連れ帰ったがゆえに遠くに捨てに行かれてから、動物を連れ帰ったことはなかった。
――おばさん、一匹もらっていいですか。飼いたい。金色の方。
☆
「と〜も、コガネの散歩行ったの?」
「ん〜〜〜」
「いいかげんにしなさい、雨降ってくるわよっ!」
「はぁーーーーいーーっ」
はじめはずっと、いつも一緒にいた。日の高いうちに散歩に出れば、たいてい世界は美しかった。でも、すぐに中学生になり学校が楽しくなって。部活が忙しくって。散歩のために早起きできる根性もなくって。
薄暗がりの中、散歩に出かけるのは嫌いだった。もういいじゃん、と思った。日は落ちて、けれどリードをつけようとするとコガネは嬉しそうに飛び跳ね、顔を舐めた。二人は散歩に出る。夏の匂いのするちょっと気だるい日暮れ。
コガネは茂みの土の匂いを嗅ぎ、少し引っかくとクルクル2回まわる。そして しゃがみこむとウンチをした。いつも通りの動作。ここに埋めちゃってもいいか…、暗くて誰も見てないし、土の上だし……?
スコップを持って散歩に出るのがなんとなく嫌だったのは、犬の糞取り専用のプラスチックでカパカパするボックスを持っている人がかっこよく見えたりしたから。リードだって本当はもうちょっと変わったかっこいいのがいいと思っていた。
その頃は、なぜだか自分を取り巻く何もかもが格好悪くて面倒くさかった。
一瞬の葛藤後ウンチを拾い、ビニールに入れた。そのとき見上げているコガネと目が合った。
日曜は散歩の日。部活があっても1日中じゃあないから、コガネを連れて長い散歩にいく。リードを塗りまわしながら庭に回るとコガネは既にしっぽをビチバチさせて立ち上がっている。こんなとき好きだなぁと思う。家から出るまでは散歩が億劫でしょうがないのだけど、家から出たとたん風が心を軽くさせ、空もどこまでも心を引きつける。大地が歓迎してくれるのを感じる。全てが好きになる瞬間。
そして コガネ大好き。
家を出る。いつもの50m直線ダッシュ。散歩が嬉しくてコガネはいつもこれをやる。父さんとの散歩ならやらないくせに。
まず公園へ。友達に挨拶。
あ、神社に行こう。めったに行かない山道お散歩コース。
今日は気分がいいから奮発だ。歩く、歩く、歩く。
どこまでもペースは変わらない。とも君にしてみれば軽い早歩き。たまに立ち止まり、草の匂いを嗅ぎ、土の匂いを嗅ぎ、電柱の匂いを嗅ぐ。そして振り返る。目が合う。
コガネにとっては そよぐ風にさえも匂いがあるんだろうな。
秋の陽射しに汗ばむ背中、石段を二人で小走りに駆け上がる。夕方に近づくほどコガネの黄金色が光を増す。
太陽のイヌだ。
どこまでも一緒にいよう。そんな日はそう思えた。
中学3年生になって塾に通い始めると、塾からの帰り道、よく父さんがコガネを連れて途中まで迎えにきてくれた。軽く巻いたしっぽが星だけが満天の夜道に輝く月だった。
コガネは月のイヌであり、とも君をいつも見守るイヌだった。
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