エピソードZERO


〜 とも君の話 〜



4    第三章
〜 獣医の卵たち 〜
 
 
  「ともっ! 牧場の準備もうした?」
授業が終わり、教室を出ようとすると声が追いかけてきた。
「今日する。ツナギと長靴がいるんだっけ?」
  獣医学科に進学し、3年生になったこの春、初めて大学の所有する牧場へ行く。市内にあるキャンパスではなかなか飼えない大型動物の世話を経験しに。明日から。
  「ともは持ってるの? これから買いに行くなら一緒に行こうよ、私も今日探しにいかなきゃならないんだ」
  この学科で最初に仲良くなった女友達。この子も『とも』。トモコでもトモミでもなく『とも』。それが同じだったからか、クラスの最初の自己紹介の後すぐに ともは話しかけてきた。その後も班が隣だったりで、よくよく一緒にいたら、「二人が一緒にいると二人とも『とも』だから呼びにくいよな」と誰だかが言い出し、ちっこくて いつもチョロチョロしてる方の『とも』が『ジェリー』と呼ばれるようになった。『トモとジェリー』…、かわいそうに。でもまあ、女の子の間では『とも』と呼ばれてるみたいだからいいか。 
  ジェリーは気が強い。そして動物にはめっぽう甘い。まあ、ジェリーについて詳しく語れるほど付き合いは深くも長くもないのだけれど。でもやっぱり動物のことになるとクラスで一番リアクションがでかい。獣医学科に進んだものの、そういう場面に遭うとちょっと困る。動物は好きだ。でも一番でもない。確かに子供の頃はイヌネコを追いかけたりはしたけれど。
 
 
 
  「星がきれいだよ!」
  牧場での実習の3日目が終わった。1日目は全体を見学し、昨日はウシ小屋の掃除、今日はヤギの爪を切った。班ごとのローテーションで各動物をまわっているから既に今日ウマに乗せてもらった班もある。うちの班は乗馬―― といってもその前に馬房の掃除を習うのだが――、は明後日のはずだ。ウシもヤギもウマも悪くない。動物が人の心を和ませるというのは本当なんだろうな。
  4,5人でおやつを買いにいくと出て行った女の子達が帰ってきて呼びに来た。中心にいるのはやっぱりジェリー。
「中でばっか飲んでないで外出てきてみなよぉ!」
ジェリーの声に数人の男どもが それまで飲んでいたビール片手に腰を上げる。宿泊施設の外にはバーベキューができる程度に芝生が広がっていて、切り株のイスが立っていたり転がっていたりする。星空の下でしゃべる。笑う。風が吹くとウシの匂いがする。
 
  それぞれがその日に世話をした動物の話に花を咲かせる。ウシの糞の中で塚田が転んだとか、有紀子のトラクターの運転が下手だとか、北山が押さえるとヒツジが窒息するだとか。「お風呂 空いてるよぉ」という声に何人かが話の輪を出入りし、酔ったり寝たり、室内にいる違うメンバーの噂にも人は流れて、真上近かった北斗七星が地平に近づく頃、人の輪は5人になっていた。その中にジェリーもいた。 
 
 
  「ただ、動物を幸せにするための知識が足りなかった、のかなぁ、きっと…」
昔話を語り終えてふぅっと息をつく。いつの間にか子供の頃の動物との話になっていた。獣医学科とはいえ、クラスにはイヌネコを飼ったことのない人も何人もいたし、「医学部行き損ねた」とか「親が獣医だから…、でもあんまり動物興味ないんだよね」とか色々いる。だから子供の頃の話だって千差万別のはずだった。でもなぜか、むしろこれが必然なのか、その夜はみんな動物好きばかりだった。
  話は転がった――。
 
動物が好きなら、子供の頃はともかく今なら幸せにできるんじゃないの?
んー、けど 動物が好き言うても「動物と遊ぶんが好き」と「動物で遊ぶんが好き」はちゃうやん、でまた「動物は好きやけど世話は嫌い」ゆうんもあるやろし。
「動物よりは自分が好き」ってのもあるよね、それだと一番に幸せにはできない。
確かに。「自分より動物が大切」な人なんて普通そんなにいねぇだろぉ。オレも動物好きだけどそれはない。
でも、私はともの気持ちわかるよ。なんかね、動物を一番に思えないのに動物飼う資格あるのかな、って思ったことあるもん。
思うだけエライって。普通は動物ってある程度 利己的に飼ってんじゃん?
かわいいから欲しい、楽しいから遊ぶ、でももっと楽しいことができたら?って?
私は自分のイヌにとっては一番いいことを探してあげたいけどなぁ。
一番いいことねぇ。
例えばさ、飼い方ひとつとってもイヌとかって『これが絶対!』って飼い方ないよね。うちはお父さんが「イヌは庭で飼うもの」って考え方だし、「走りたいだけ走らせて上げなさい」ってんで散歩も一緒に走り回ってたから、高校生ぐらいの時にイヌは室内がいいとか、飼い主の隣にぴったり付けて散歩するものとか聞いてショックだった。
あぁ、うちのイヌもツナ引っ張りまくり。
せやけど実際、外飼いで幸せなんもいてるやろ。逆に外で繋がれてるからこそ一日数十分の散歩もついて歩いてるだけやったらかわいそうや思うし。
室内飼いと外飼い、どっちが正解か?
んー、そうじゃなくって、『どうするとどうなるよ』っていう選択肢を親からの知識だけじゃなくて もっと飼う前に欲しかったなぁと思う。少なくとも「生まれて最初の2,3ケ月の仔イヌはいっぱい学ぶから、性格作りにもむちゃくちゃ大事な時期なんだよ」ってことぐらい知りたかったぁ。今さらだけど。
どこも一緒だよ。
あんな、なんかの本で読んでんけど、個人差ぁはあっても子供がイヌを飼うっちゅう責任感を理解できるようなるんは せいぜい12歳くらいなんやて。せやから子供ん頃のんはしゃあないわぁ。
うーん、親にも子にも足りないんだよね、きっと、知識が。日本はさ。知ってから飼うべきなんだけど買った後でそのことに気付く。
できちゃった結婚みたいな?
人の子ぉの方がましやろ。少なくとも親は絶対経験者や。
なんか『日本のイヌ飼育の未来を考える?』って感じ。獣医さんみたいだね――。
 
 
  自分にとってのイヌ?大事だけど自分の本能欲求とはせめぎあう高さに位置するもの?散歩さぼって寝たいとかいう感情と戦うには大人になることが必要なんだろうか。ジェリーの考えをもっと聞いてみたいと思った。そして自分のことももっと話してみたいと思った。
 
  大学生になってから、もともと高校のときも部活に塾にで帰りは遅かったのに、輪をかけて家にいるいる時間が短くなっていた。サークルも友達も楽しかったし、先輩によく飲み会にも連れていってもらった。その出費のためにガツガツとバイトもするようになった。夏休みは合宿へ行き、長い旅行もした。
  今や いくらか年老いた白いイヌの散歩は父さんの日課だった。今がきっと一番忙しいんだからしょうがない。そう思って自分をごまかしている。ただ たまに休みの日にゴロッとしていると「とも、たまには散歩行っといで」と母さんが顔の前にリードを落とす。
  そんな日常。
 
 
  そして牧場の夜は更けた。
 
 
H16年8月23日(月)


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